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最高裁判所第三小法廷 昭和57年(あ)1839号 判決

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人両名の各上告趣意は、いずれも、違憲をいうかのごとき点を含め、原判決に対する不服の理由を具体的に示しておらず、適法な上告理由にあたらない。

弁護人河野善一郎、同村野守義、同妻波俊一郎、同高野孝治、同佐々木猛也、同大賀良一、同岡崎由美子、同石川元也、同上田誠吉の各上告趣意のうち、憲法三一条違反をいう点は、公職選挙法一三八条一項、昭和五七年法律第八一号による改正前の公職選挙法二三九条三号の各規定が憲法三一条に違反するものではなく、また、被告人らの本件各所為につき公職選挙法の右各規定を適用して処罰しても憲法の右規定に違反するものでないことは、当裁判所の判例(昭和四三年(あ)第二二六五号同四四年四月二三日大法廷判決・刑集二三巻四号二三五頁。なお、最高裁昭和四二年(あ)第一四六四号同四二年一一月二一日第三小法廷判決・刑集二一巻九号一二四五頁、昭和五五年(あ)第一四七二号同五六年七月二一日第三小法廷判決・刑集三五巻五号五六八頁参照)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がなく、その余は、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四〇八条により、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。

所論は、戸別訪問には、買収、利益誘導などの弊害をもたらし、選挙の自由と公正を確保するという保護法益を侵害する抽象的危険すら伴わないものがあり、これについてはそれを処罰の対象とする理由も必要性も存しないのであるから、抽象的危険の有無をとうことなく、すべての戸別訪問を一律に禁止し、その違反を処罰の対象とする公職選挙法一三八条一項、昭和五七年法律第八一号による改正前の公職選挙法二三九条三号の規定は、憲法三一条に違反するものであるという。私も、法廷意見と同じく、この違憲の主張は採用することができないと考えるが、その理由について若干の私見をのべておくこととしたい。

思うに、抽象的危険の概念をどのように考えるかによって、公職選挙法一三八条一項の規定により禁止されている投票依頼等を目的とする戸別訪問は、常に買収、利益誘導等の不正行為を誘発し、選挙の公正を損う等の抽象的危険を伴うものであるという考え方も可能であり、またこれとは異なり、戸別訪問の中には、法益侵害の抽象的危険すら伴わないものも含まれ、これを処罰することとなるとそれは形式犯に属することとなるという考え方も可能と思われる。しかし、形式犯も、程度の差こそあれ法益侵害の危険を要するものと解すべきであるから、抽象的危険をどのように捉えるか、したがって戸別訪問罪を抽象的危険犯と解するか又は形式犯と解するかによって、直ちに同罪が憲法三一条に違反するか否かの結論を導き出せるものとは考えられない。

したがって、私は、以下には、右のような犯罪類型の観点からではなく、実質的な観点から、投票依頼等を目的とする戸別訪問を一律に処罰している刑罰規定が合理的なものか否かについて意見をのべることとする。

私の見解によれば、戸別訪問の禁止は、国会が選挙の公正を確保するために候補者その他の選挙運動者の守るべきルールの一つとして定立したものであり、投票依頼等を目的とする戸別訪問は、このルールの違反として処罰されるものである(最高裁昭和五五年(あ)第一四七二号同五六年七月二一日第三小法廷判決・刑集三五巻五号五六八頁における私の補足意見参照)。換言すれば、法が、現実に買収などの不正行為を誘発するという弊害を生ずる危険が存在するかどうかにかかわりなく、選挙運動としての戸別訪問を一律に禁止して違反者を処罰することとしているのは、戸別訪問行為が常に右のような法益侵害の危険を随伴するものと考えているからではなく、選挙運動という一種の競争を公平に行わせるためのルールをすべての選挙運動者に一律に及ぼすためであると解される。すなわち、選挙運動を行う者に戸別訪問禁止という法の定めるルールを一律に遵守するよう強制することによって公正な選挙の実現を確保するというのが法の趣旨とするところがあるから、ルールに違反した以上処罰をうけることとされていても、それが憲法三一条に違反するとはいえないと考える。もとより、国会は選挙運動のルールとしてどのような内容のものを設定するかについて完全な裁量権をもつものではなく、そのルールは合理的なものでなければならないが、競争を公平に行わせることに独自の価値があり、そのためにある行為を禁止するというルールを定立する場合と、ルールの定立ということ自体には意味がなく、単にある行為を無価値なものとして禁止する場合とを対比してみると明らかなように、前者の場合のルール設定については、国会の裁量権の幅は広く、その立法政策にゆだねられているところが大きいといわなければならない。そして、従来戸別訪問に伴う弊害(「買収、利害誘導等の温床になり易く、選挙人の生活の平穏を害するほか、これが放任されれば、候補者側も訪問回数等を競う煩に耐えられなくなるうえに多額の出費を余儀なくされ、投票も情実に支配され易くなるなどの弊害」、最高裁昭和五五年(あ)第八七四号同五六年六月一五日第二小法廷判決・刑集三五巻四号二〇五頁参照)としてあげられていることは、戸別訪問それ自体を無価値として一律に処罰する根拠としては、右弊害が戸別訪問に必然的に随伴するとまではいえないだけに、国会に認められる立法裁量権を考慮しても、なお十分とはいい難いようにも考えられるが、競争の公平を確保するために、戸別訪問を一律に禁止するという選挙運動のルールを定立する根拠としては、右弊害が過去における戸別訪問に随伴した例が多いという程度であっても、国会に認められる立法裁量権のもとでは、十分合理性があるものと考える。また法定刑の均衡の点でも、公職選挙法に規定する各種制限の違反行為に対する刑罰(同法二四三条、二四四条等参照)と対比するとき、国会の裁量権の範囲をこえて憲法に違反するものとは解されない。以上のように考えると所論違憲の主張は理由がないというほかはない。

(裁判長裁判官 安岡滿彦 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己 裁判官 木戸口久治)

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